あとがき

 拙著『ジェイムズ経験論の諸問題』(法律文化社、一九七三年)が発刊されてから十三年経過した今日、その続編とも言うべき本書が、やっとの思いで発刊できる運びとなった。一つの仕事をやり終えたという安堵感と、所詮は著者の自己満足でしかなかっただろうかと思ってしまうひねくれた気持ちに翻弄されて複雑な心境にとらわれている。それは「お前はいったい何のために性懲りもなく一人の過去の人間を追いかけているのだ。それが今のお前自身のメリットになるとでも言うのかね?」と嘆く声が著者の心の中に入りこんでいるせいかもしれない。そう言われれば、著者は「そのお陰で、今の私は研究者として大学で教鞭を取ることができ、生活の糧を得ている」と答えざるをえないのであるが、そのように開き直る著者の心が何とはなしに恨めしいのである。
 思えば、著者は二十五年前にこのアメリカの思想家ウイリアム・ジェイムズと付き合ってきたことになる。そのきっかけとなったのは、著者が初めて文学部の専門課程(倫理学専攻)に入ったときの恩師である相原信作先生から、当時心理学にも興味をもっていて授業には上の空であった著者に「ジェイムズならば、君の気持ちに応えてくれるだろう」と御教示いただいてからであった。先生は先輩達も受けに来ている専門の演習の時間にジェイムズの論文をテキストにされ、それとなく著者を導いて下さった。そのお陰でなんとか目鼻がつき、今日に至るまでジェイムズを研究対象とするようになったのだった。
 それでも、まだその方の専門家と言われるにほど遠い著者の凡庸さには、著者自身も辟易とするのであるが、少し考えてみれば、ジェイムズについてはまだまだ知らないところがある事実性をよく知ってるが故に、その凡庸さによって、著者はこれからもずっとジェイムズと付き合っていかなければならないのかもしれない。ただ、著者にとって感謝すべきなのは、確かに著者は自分自身の個人的生活においてジェイムズから教えられた点も数多くあり、その中には自分の人生観や世界観の一部にさえなっているものもあると言うことであろう。
 前書である『ジェイムズ経験論の諸問題』は著者が大学院の修士課程のときに書きあげたもので、もう少し練り上げてから出版しようと思ったのであるが、丁度その頃、著者は病気がちで長期に亘る入院生活をしており、今から思えばお笑い種なのであるが、もう研究生活はできないと思いこみ、ともかくもひとまずの区切りはつけておいた方がよいと考え、拙速だとは思いつつも出してしまったのである。
 この十三年の間に、一度だけ重版をさせていただいたが、書き改めることもままならず、初版の体裁のままに現在に至っており、その過去の未熟さを引き摺っているようでなんともお恥ずかしい限りであるが、著者の決断したこと故に、それも致し方ないとの思いを噛みしめている。
 もっとも、この十三年においてジェイムズ研究家には嬉しいことがあった。それは、本書の『序言』でも述べたように、ハーバード大学からジェイムズの『全集』がやっと出るようになったことだ。著者にとれば、これほどの人物の(と言っても、ジェイムズは現代の哲学者としては二流の方だと言っている人は、とりわけフッサーリアンやベルクソニアンの中からは、相変わらず多いのであるが)『全集』が今になって出るとは遅きに失してしているとの感があるのであるが、それは当時ジェイムズのすべての書物が揃わなくて、各大学の図書館や研究室を必死になって探しまわった著者の思い出とだぶっているからであろう。
 本書『ジェイムズ経験論の周辺』が出版できるという機会を与えられたので、その『全集』版を編者の解説を含めて読ませてもらったが、著者のこれまで気付かなかった部分がそれこそ無数にあり、随分と教えられた。
 しかしながら、本書を構成していくに際しては、その『全集』から得られた情報は一切使用しなかった。実際のところ、その決断をする迄にはかなり迷い、せめて「注」にでも書き入れようと思ったのであるが、考えてみれば、本書は内容的には前書『ジェイムズ経験論の諸問題』のコンテキストを受けており、その意味では『全集』刊行以前の解説書として位置付けられるべき時期的巡り合わせにあったのである。将来この『全集』をもとにしたジェイムズ研究書が著者より若い世代の人達によって次々と出されていくであろうことを信ずるが、前書を含め本書が少しでもお役に立ってくれれば、著者にとってこれ以上の喜びはない。
 尚、本書が出版されることができたのは、全く大阪産業大学のお陰でもある。ここに掲載されている八つの論文のもとになっているのは、著者が大阪産業大学に奉職するようになって、そこの「大阪産業大学論集」及び「産業研究所報」において、ここ数年に亘って独立した論文として発表してきたものである。本書を出版するにあたって、本書の意図に沿ってそれらに全般的に手を加えてできたのが、本書なのである。その上、本書を出版する費用の一部は大阪産業大学産業研究所の「奨励研究」費から当てられている。ここに、大阪産業大学ならびにその関係各位に心からお礼を申し述べさせていただきたいと思う。
    一九八六年
                                  三 橋  浩
(付記)
本書も『ジェイムズ経験論の諸問題』と同様、絶版になったので、出版社である法律文化社の了解を得てホームページ「八五郎屋の書庫」にアップさせていただいた。

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